大学生の頃から参加している8月6日のボランティア、ピースキャンドルに今年も参加してきました。大人になっても参加し続けるというのが夢でした。
私の役割は報告書をつくるために参加者の声を集めること。今年は台風が近づいていたためか風があって去年より涼しかったです。持っていった保冷剤も使わずカバンのなかで溶けてしまいました。
ピースキャンドルの参加を通じて考えたこと感じたこと、インタビューする時に考えていることについての記事です。
ぐーるぐるとドームの周りをまわりながら、頭を回転させる。
報告書を書くために参加者に声をかけて感想を聞くのですが、これが結構難しい。
誰にどんな質問を、どのタイミングでするのかということを歩きながら考えます。
作業しながら考えるという器用なことができなくて、ぼ〜っと立っていたりぐるぐる歩きまわりながら、どういう記事を書いていこうかと考えていくのです。
大学のサークルの後輩たちがボランティアに参加しているので、彼らと雑談しつつ記事の糸口を探ります。緊張をほぐしてくれるので助かります。
テレビ朝日が今年は入るんだそう。キレイなアナウンサーさんも大きなヘルメットをかぶって入っていかれました。
牛乳パックでつくるキャンドルにいろんなイラストやメッセージが描かれています。
どんな質問をするのがいいのでしょうねぇ。
実は言葉で表現できることは少ない。
キャンドルの炎を見て、「綺麗だね」と笑いあうこと。
8月6日にキャンドルを灯したり、とうろうの灯火を家族で一緒に見ること。
あとで思い出して、あぁ大事だなぁって思うこと。
そういう時間そのものが、平和という気がして言葉で伝えられること、聞けることってあるのだろうかと考えてしまいました。
それでも、話を聞くと人それぞれ過去や未来が違うので、出てくる言葉が異なってくるんですね。
私が話を聞くときに、聞く人によって出てくる言葉や内容が変わるように◯◯としてどう思いますか?と聞いています。
どう思う?っていうのってみんな同じような意見が出てくるような気がして恐いのです。
「私が被爆3世じゃないから聞きたいのですが、被爆3世としてどう感じますか?」
「学校での生徒の様子はどうでしたか、今後も続ける価値はなんでしょう」など先生としての意見が聞けるような質問。
子どもには率直に「なんで来ようと思ったの?どんなことを思った?」など。
でも「◯◯として」が思い浮かばない場合は、わりとオープンクエスチョンで「どう感じましたか?」と聞いてしまいます。胸をお借りする感じで。
それでも結構様々な意見を聞くことができました。
思ったより、みなさん様々なことを思うんですよね。
博多の話にも通じるのですが、やはり人それぞれの価値観で現実を見つめていて、その現実がまたその人ならではの新たな価値観を作っていくんですよね。
報告書はボランティアや当日キャンドルを並べに来ただけでは分からない当日の様子をお伝えしたいという思いでボランティアをさせてもらっていますが、一番私が勉強させてもらっていると思います。この機会を頂けることに感謝ですよね〜。
痛みじゃ、わかりませんよ!
あの、いつも頭が痛かったり、今年は肘の付け根と胸とみぞおちが痛かったり、8月6日はどこかしら痛みます。
これはなんとなく私の痛みじゃないと感じています。
その証拠にこころのなかで「私は痛みでは分からないから、痛み以外のこと、あなた達の痛みや思いを未来に活かすために私に分かる方法で伝えて欲しい。」と言うと、すっと痛みが引くのです。
霊感はないんです(そう思っている)けど、本当にすっと痛みが引きます。
何度かまた痛むのですが、同様に対応するとやはり痛みは引くのです。最後は「まじで痛みじゃ分からないっす!」ってキレ気味?に思うとすっと引くのです。なんでしょうね。ふしぎですね。
そして今日は全然どこも痛くもない。旅行の疲労もありとっても眠かったので、結構ずっと寝ていました。有給取っておいてよかった。
ぐるっと一周キャンドルが灯る。
キャンドルを見ながらいろんな声が聞こえてきます。
「こんなのやってるんだねぇ。きれいだねぇ。」
「これは灯篭流し?」
「ピースキャンドルって言うんだよ。」
「僕も作りたいな。」
「また来年も来ようね。」
「手、離さないでよ。」
キャンドルを見つめる子どもの顔を見つめるママやパパの姿も印象的です。
2〜3才の幼児が小さな足を折り曲げて中腰でキャンドルをず〜っと見つめていたりして。
こんな感じで私の短い8月6日が過ぎていきました。
報告書を仕上げるという私の「平和学習」が待っています。ぼちぼち1ヶ月ぐらいかけて仕事とブログの合間にやっていく予定。
また報告書ができたら、こちらでもシェアしますので、その時はぜひ読んで頂けたらうれしいです。